”中田英寿はなぜイチローになれなかったか?”

最近、日本のマスコミ関係者がこんな問いかけをして、”知ったかぶり”のような意見を述べているようだ。

“海外組”の見たヒデ 田中和彦(映画制作会社「ティー・オー・ピー」役員)

”ジーコジャパンのW杯敗退では、今春のワールド・ベースボール・クラシックでリーダーシップを発揮して国内組中心の選手たちを優勝に導いたイチロー選手と、海外組と国内組の溝を埋めることができずに最後まで孤独な戦いを強いられた中田英寿選手を比べる記事が見受けられた。”

この問題は”くだらないマスコミの思い上がり”に端を発しているが、その誤解を解くためにここで議論しておこう。

まあ、結論から言えば、「ワールドベースボールクラッシック(WBC)とワールドカップは比較できない」ということだ。

なぜなら、確かにイチローと中田英寿は日本代表という立場は似てはいたが、置かれた立場はまったく異なっていたからである。だから、結果はまったく異なるのが当然で、単純にイチローと中田を同列に論じる事はできない。

サッカーのワールドカップは、72年18回という非常に長い歴史を持っている。(ワールドカップのデータベース)。それに対して日本サッカーの歴史そのものは、アマチュアサッカーとしては非常に古いが、プロサッカーとしての歴史は非常に浅い。13年前の1993年に誕生したに過ぎない。したがって、世界のプロサッカー72年の歴史に比して13年で、3度目のワールドカップ出場したということである。

一方、野球の場合には、日本のプロ野球は1936年に発足し、70年という、戦前からの長い歴史を持つ。高校野球はプロ養成の下部組織のようなもので、戦前からすでに甲子園大会はプロ野球への登竜門化していたのである。高校野球のトップ選手はプロ野球の一軍でも”即戦力”として働く事ができるほどの力量を持つ。こういった野球教育スタイルが日本では出来上がっているのだ。

こういうプロ野球のしっかりした組織ができている基盤の上に、野茂英雄選手がアメリカメジャーリーグに参戦し、それから次第に日本人メジャーリーガーがどんどん誕生していったのである。

こうした状況の下でサッカーのワールドカップを真似て、2006年の今年になって初めてWBCが行われたのである。これに、大リーガー所属のイチローなどの野球選手と国内のプロ野球所属のプロ野球選手がチームを組んで参加し、優勝を遂げたのである。

ましてや、野球は世界の一部の国々でしか行われていない。プロ野球がある国は非常に限られている。その限られた国々の中でのWBCなのである。せいぜいベスト16程度の国しかない上に、日本は最初からベストフォーの歴史と実力を持っていた。だから、優勝しても別に驚く程の事はない。イチローがいなかったとしても日本は優勝できたかも知れない。それほどの選手層と歴史と伝統をプロ野球は持っている。

しかし、サッカーはワールドスポーツである。サッカーのない国はなく、ほとんどの国でそれなりのプロサッカーリーグを持っている。この現実の前では日本のプロサッカーの歴史は浅すぎる。クラブユースも誕生して間もない。高校サッカーやクラブユースの選手がそのままプロサッカーチームのエースになることはまだほとんどない。この例外中の例外が中田英寿であった。これが現実である。

だから、日本のプロ野球の立場と日本サッカーの立場は全く異なる。同列に論じる事はできないのだ。まがりなりにも”プロ野球選手魂”が確立しているプロ野球選手とまだまだ”プロサッカー選手魂”の確立していないプロサッカー選手とは比較にならないのだ。

WBCの日本代表はみなプロ選手としての誇りを持って戦ったが、その中のイチロー選手と、ワールドカップサッカーの日本代表はみなまだまだアマチュア的なサッカー選手の集まりに過ぎず、プロサッカー選手としての誇りを持って戦ってはいなかったが、その中の中田英寿選手とは比較しようがないのである。

それほどまでに、プロ野球とプロサッカーは歴史が異なるのである。安易な”比較”は禁物であろう。プロサッカーとプロ野球は似て非なるものなのだ。
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by Kazumoto_Iguchi | 2006-07-08 14:25 | WC2006
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